世界中でどこにもない、「狩猟」で「定住」といった縄文文化。
三内丸山遺跡の研究で分かったのは、主食が「栗」で遺跡の周囲には膨大な栗の木があった。
三内丸山遺跡が始まったのはB.C3500~B.C2000 の1500年。
B.C3500年に日本では温暖化が進んで、針葉樹林が主だった森が木の実が豊富な森になった。
三内丸山遺跡が廃れた理由はNHKで出てなかったのですが、恐らく栗の木が気候変動でダメになったからでしょう。
世界に類を見ない定住で狩猟というのは、縄文人の「魚+木の実+肉」といった雑食で縄文土器で煮ることで食べれるように工夫したこと。
西洋の小麦の農耕、縄文時代では栗の木を植樹してたので、農耕といえば農耕なのかもしれない。
食べることに不自由しなかったので、争いもなく1000年以上続いたのでしょう。
今でいうと収入が豊富にあったということか。