一夫多妻制の妻の割合が政府統計で公表されている国のデータと、100年前の日本(1920年)を比較すると、相関が強い(0.805)グラフに収まるように見えます。
一夫多妻制 | 出生率 | |
ギニア | 43% | 4.8 |
ブルキナファソ | 42% | 5.79 |
マリ | 42% | 6.38 |
南スーダン | 40% | 4.54 |
チャド | 39% | 6.9 |
ベナン | 39% | 5.27 |
ナイジェリア | 36% | 5.45 |
トーゴ | 33% | 4.68 |
セネガル | 33% | 4.96 |
ニジェール | 31% | 7 |
カメルーン | 30% | 4.99 |
コートジボワール | 29% | 4.97 |
タンザニア | 29% | 5.1 |
ウガンダ | 23% | 4.47 |
スーダン | 22% | 4.91 |
モザンビーク | 20% | 5.3 |
ジンバブエ | 18% | 4.3 |
日本(1920年) | 18% | 5.09 |
ガーナ | 16% | 4 |
ザンビア | 16% | 5.1 |
ルワンダ | 12% | 4.1 |
エチオピア | 11% | 4.47 |
ケニア | 9% | 3.3 |
ヨルダン | 7% | 3.08 |
パキスタン | 4% | 3.8 |
イエメン | 3% | 3.89 |
カザフスタン | 2% | 2.73 |
南アフリカ | 2% | 2.4 |
モロッコ | 0% | 2.33 |
一夫多妻制が1%以上の国は下記のいずれかになります。
① 法律で一夫多妻制が合法
② 法律で一夫多妻制が禁止されているが、イスラム教徒は許可されている
③ 法律で一夫多妻制が禁止されているが罰則が緩く、慣習で残っている
世界では数えてみたところ凡そ50ヵ国が①~③のいずれかのケースに当て嵌まっているようです。違法なのに農村などが慣習で一夫多妻制が残っているような国では、正式に統計で発表するわけにはいかないので、今回の調査で一夫多妻制の妻の割合が分かったのはアフリカ24ヵ国と中東4ヵ国だけでした。
財務省の資料「少子化対策はなぜ失敗したのか」中央大学山田昌弘教授からの引用で、日本の一夫多妻制は、明治時代が20%、昭和初期が10%であったとありますので1920年を18%くらいと想定しました。1920年の日本の合計特殊出生率が5.09なので、一夫多妻のグラフと重ねてみると違和感がない数値になります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2020/jinkou202010.pdf
【一夫多妻から一夫一妻の移行は、第一次産業人口の減少】
日本では明治31年(1898年)に一夫多妻制を法律で廃止しましたが、慣習として終戦までは実際には残ってました。婚外子という形が残っていました。
一夫多妻では、生まれた子供が高等教育を受けなくても稼げる農業や漁業の第一次産業の受け皿があります。一夫多妻が10%以上の国は全て第一次産業の人口が20%以上になっていて、平均で56%の第一次産業人口になっています。(一夫多妻10%以上の16ヵ国平均)
1920年の日本を比較すると、「一夫多妻率:18% 合計特殊出生率:5.09 第一次産業人口率:53.9%と、現在のアフリカの一夫多妻制の国々の平均と同じになります。
日本の第一次産業人口は明治の初期から終戦後まで1880年~1950年、不思議と人口が1,500万人前後で推移してきました。1955年までは第一次産業人口が1位でしたが、1960年には第3次産業(電気・ガス・熱供給業・水道業,運輸・通信業,卸売・小売・飲食店,金融・保険業,不動産業,サービス業,公務)が1位となりました。
第二次産業や第三次産業が増加した理由は、第一次産業と比較して2倍の収入が得られるということで農村から都市へ人口が移動しました。
【農家や漁業では人手として子供をあてにする】
世帯が裕福になるには、農業や漁業では人数を増やすことが世帯収入のアップに繋がります。第一次産業人口の高い国では出生率が高いのは、子供がいずれは収入に結び付くと考えているからではないでしょうか。
【一夫多妻制に戻ることはなく不可逆的】
一夫多妻制を許可したら出生率が上がるという発言があったようですが、初めに第一次産業人口が増えないと一夫多妻制に戻しても出生数は増えないと思います。
調べた範囲ですが、世界で「一夫一妻制 ⇒ 一夫多妻制」に戻した国は、歴史上どこもありません。(例外として古代ギリシャでは強い兵士を生み出す為にスパルタという都市だけ一夫多妻制にしてた)